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写真提供:加古川市史編纂室 |
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現在、「30メートル水路 ※1」一帯から神戸製鋼所のある地域は、昭和30年代、砂浜の別府海岸と「シンガイ」と呼ばれる湿地帯でした。
「シンガイ」とは新田開発のことで、新しく開いた土地のことを意味しています。
江戸時代末期(1800年代初め頃から幕末にかけて)に、現在の加古川市別府町から尾上町にかけての海岸部は東側から「岩崎新田」、「千代新田」、「金沢新田」と時代を追って造成されていきました。
当時の記録によると、三つの新田合わせて、約70町、700石くらいはあったと考えられます。 |
造成技術の進歩と人工増加や殖産のために、海岸部の湿地帯や砂浜の造成は進められたようです。
しかし、治水・利水技術も進歩していたようですが、実際には水利でどの新田も苦労していたようです。また、海岸ということで、高潮による被害も受けました。
戦前までは「金沢新田」は水田として利用されていましたが、戦後は台風で防潮堤が決壊し高潮が押し寄せ使用できなくなり、一部を除き「シンガイ」と呼ばれる浅い沼地の様になりました。
※1 「30メートル水路」は東西約3キロほどある人工的につくられた水路で、
当初は30メートルの幅があったためこの名称が付けられました。 |
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