厄神駅は加古川線と三木鉄道が連絡し、加古川駅の高架化に先駆け橋上化しています。厄神駅の利用者は国包地区の住民がほとんどのであり、同じ国包地区に住み三木鉄道沿線の住民も厄神駅で乗り換えて、加古川駅に向かいます。駅周辺は、加古川市の北の玄関口として開発が予定せれている地区であるため、駅周辺には広い駐車場や駐輪場が設置されています。
川に近いこの地域は江戸時代の頃まで、洪水の被害に苦しめられ、人々と洪水の戦いの跡が現在に残っています。
宝暦6年(1756年)に大阪で商人として成功し富を得た国包出身の長浜屋新六郎が、いつも洪水の被害が絶えない加古川沿いの郷里を水害から救うという目的から、出水の際に人々が避難できる場所と、特に牛馬を避難させるために、小高い丘である築山を造りました。
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