加古川探訪 第7回:印南野まぼろば紀行 トップページへ 
 
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教信上人ゆかりの 駅ケ池
かつて田園地帯にあった「駅ヶ池」も、
現在では住宅地に囲まれている。

奈良時代、野口町野口周辺には賀古駅家(かこのうまや)という宿場がありました。奈良時代前期の僧、教信上人はこの野口に庵を建て、念仏を唱えながら旅人や念仏を唱え続けて旅人や農民を助けたので「荷送り上人」とか「阿弥陀丸」と呼ばれ民衆から尊敬を集めました。庶民仏教の普及の努めた上人の庵の跡に建てられたのが現在の教信寺です。国道2号線の南側にある「駅ケ池」は教信上人が農民の為に造ったといわれ、教信上人にまつわる伝説が残っています。仏道を実践するには聖僧ぶる必要はない。虚飾を捨ててこそ真実という信念を持つ教信上人がある日、土地の人にもらった鮒を食べたところ、それを見た者から「僧にあるまじき行為」と非難されました。そこで教信上人はその者を「駅ケ池」へ連れていき、「仏道修行者は魚を食うもよし、食わぬもよし」と口から吐き出したところ、鮒は何事もなかったように泳いだと伝えられています。ただその鮒は片目を失っていたので、その後も地域の人が片目の鮒を釣り上げると貴き鮒「上人鮒」と呼んで池に放す風習があったといわれています。