上荘町見土呂にはかつて室町時代に赤松一族の砦として築かれた井口城がありました。赤松満祐が治めていた時代、当時の城主であった井口家治の娘「見登呂姫」はとても美しく心優しかったため人々に親しまれ評判を集めていました。ある時、満祐の家来であった侍が姫の美しさに心を打たれ、ある年の「月見の祝」の席で姫に思いを告白しましたが、断られて逆上し姫を刺し殺して裏山に埋めてしまいました。しばらくしてその事実を知った民衆は姫の死を悼み、石仏を立てて菩提を弔ったということです。今でもその石仏は見土呂の集落に残っており、お供えの花が絶えることがありません。また現在の「見土呂」の地名は「見登呂姫」の名前に由来していると言われています。
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傾きながら立っている「見登呂姫の石仏」。
今も集落の人々により色鮮やかな花が供えられている。 |
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