加古川探訪 第6回:印南野まほろば紀行 トップページへ
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  数々の電設を秘めた日岡陵古墳
 
「稲日大郎姫命と大唯・小唯」親子像
■高さ/約43cm ■巾/約35cm
■材質/尾州桧材 淡彩色・純金泥書
ごくらくや仏檀店本店にて展示中



  日岡陵古墳は四世紀頃に築造された長さ約86mの前方後円墳です。「播磨国風土記」や「日本書記」には「景行天皇の后の墓」として記されていることから宮内庁管理の「陵墓参考地」とされ、立ち入りは禁止されています。またこの古墳には様々な伝説があり、后が亡くなり遺体を舟に乗せて印南川(加古川)を渡っていた際、つむじ風が吹いて舟が転覆してしまい遺体が見つからず「ひれ」(スカーフ状の布・領巾)と「くしげ」(化粧道具を入れる箱)だけが見つかり、これを葬ったので別名「ひれ墓」とも呼ばれるようになったと伝えられています。また葬られたとされる景行天皇の后「稲日大郎姫命」(いなびのおおいらつめのみこと)は「大唯(おおうす)」と「小唯(おうす)」の双子の皇子を産み、双子の皇子の一人「小唯(おうす)」はのちに東国の蝦夷(えぞ)をはじめとする地方の豪族を平定した古代の英雄「倭健命(やまとたけるのみこと)」になったといわれています。ごくらくや佛檀店本店ではこの「稲日大郎姫命」と「大唯」「小唯」親子をモチーフにした木像を製作し展示しています。ぜひご覧ください。


 
「日岡陵古墳」

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