加古川探訪 トップページへ
戻る 加古川城跡 野口城跡 神吉城跡 中道子山城跡
神吉城跡
かつて神吉城があった常楽寺にある案内看板。
かつて神吉城があった常楽寺にある案内看板。
神吉城の城主として討死した武将・神吉頼定の墓。
神吉城の城主として討死した武将・神吉頼定の墓。
「神吉城」は三木城主・別所長治の一族で、神吉之荘一万余石を治める領主・神吉民部大輔頼定が築いた平城です。記録によると「神吉城」は平城でしたが、構えも本格的な総構えで濠も備えている堅城であったようで、天正5〜6年(1577〜1578年)の羽柴秀吉による播磨攻めの際は、織田信長の嫡子・信忠が率いる約三万の大軍の包囲に対して僅か千名ほどの軍兵でろう城しながら果敢に抵抗し、何度もその攻撃を撃退したと伝えられています。城主・神吉頼定はかつて三木合戦において、勇猛さで羽柴秀吉の軍勢を一旦敗退させるほどの手柄をあげた優れた武将でしたが、大軍の度重なる攻撃に城主・神吉頼定を始めとする城兵はことごとく戦死し、ついには「神吉城」は落城してしまいました。
常楽寺に隣接する神吉神社に残る神吉城攻防合戦の様子を描いた絵。
常楽寺に隣接する神吉神社に残る神吉城攻防合戦の様子を描いた絵。