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 国包の渡し跡

 

国包の上流部では川幅が急に狭くなっているため、国包地区では常に洪水の脅威にさらされていた。
国包の上流部では川幅が急に狭くなっているため、
国包地区では常に洪水の脅威にさらされていた。
「国包渡し(くにかねわたし)」はかつて加古川大堰の上流、現在の加古川市上荘町国包から対岸の井ノ口との間で行なわれていた人渡しです。国包は東は三木から伊丹・有馬、西は井ノ口から志方・姫路を結ぶ西国裏街道・有馬街道の重要な道筋であったとともに、加古川舟運の船着き場として賑わいを見せ、加古川上流からは良質な木材が運ばれていた事から建具などの指物細工が栄えました。地元に残る元文2年(1737年)の記録によると国包周辺には材木屋・大工・桶屋・紺屋・医師・旅篭・川船宿などが立ち並び、加古川と街道が交差する要衝として人の往来が絶えなかったと記されています。その後、鉄道の開通により加古川の舟運は衰退し、各所に橋が架けられたり河川の改修等により国包渡しは消滅し、その名残は残されていませんが、国包近くの加古川左岸には、かつてここで人渡しが行なわれていた事を伝える案内板が設置されています。
かつて、ここで人渡しが行なわれていたことを示す案内板。
かつて、ここで人渡しが行なわれていたことを示す案内板。