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聖徳太子ゆかりの太子岩
「太子岩」は加古川大堰下流、加古川本流と草谷川の合流部にある岩です。言い伝えによると飛鳥時代に聖徳太子が加古川東岸の下流一帯に広がる鶴林寺領200町歩へ引く灌漑用水路工事の際、基準にした岩だといわれており、上流に堰を設け下流に溝を掘り進めた結果、5つの地域を潤したことから、それぞれ「五ケ井堰」「五ケ井溝」と呼ばれました。これらの堰や用水路はその後も時代ごとに度重なる改修・延伸を続けられ、平成元年(1989年)に治水と利水を目的とした加古川大堰が完成するまで、1,000年以上の永きにわたって加古川下流地域の広大な田畑を潤し続けました。現在では「太子岩」の大半は土砂に埋まり、その一部しか見る事はできませんが、かつての「太子岩」はその巨岩を流れに横たえ、目の前の深々とした淵では鮎や鰻など、さまざまな魚が捕れた時代があったということが地元の人々の記憶に残っています。
今も水が流れる「五ヶ井溝」
今も水が流れる「五ヶ井溝」
河岸にある「太子岩」の銘板
河岸にある「太子岩」の銘板

わずかに頂上部が出た「太子岩」
わずかに頂上部が出た「太子岩」